MY TURNING POINT | 2025.05.10

建てること。宣言すること。歌うこと。

(my turning point)

PROLOGUE

お話のはじまり

経営者は多かれ少なかれ、どんな形であれ、宣言を求められる。〈JYU-STYLE 建築設計〉代表取締役の小池裕一朗さんは、2014年に父が営んで来た〈(株)春昇建築〉を事業継承。以来、設計部門はじめ組織体制の刷新、労働環境の改善に取り組んできた。
2021年、高山市に新スタジオ〈住工房A torie〉を開設。下呂市にあるスタジオとの併設で、幅広い住宅のニーズに応えている。しかし、「ホームビルディングはひとつの手段」そう語る視座の傍らには、いくつもの選択と判断、それに伴う宣言があった。

YUICHIRO KOIKE

小池 裕一朗(JYU-STYLE建築設計)

(株)春昇建築 代表取締役。設計事務所〈JYU-STYLE建築設計〉代表取締役・デザイナー。建築士、宅建士、住宅省エネ技術者、整理収納アドバイザー。

INTERVIEWEE

幼馴染への宣言

宣言とは、これからの未来に成そうとすることの表明で、それを聞く人との約束だ。しかしその以前に、自分自身に言い聞かせる暗示のような側面が「宣言」にはあると思う。むしろ、そちらが強い時もあるだろう。つまり「まだ、できていない」と心から認めなければならず発されたもの。それが宣言だ。

小池さんが思わず夜中にかけた1本の電話は、まさにそのようなものだった。この時、宣言の向こうには共に下呂の地で経営者となった友人がいた。電話越しの「人との付き合いを異常なほど重視できる」幼馴染に未来の自分を重ねていたと小池さんは振り返る。「おれ、変わるよ」。そんな力強くも、(できてなかったんだよ、まだ)との吐露とも弱音とも強がりとも響くような宣言は、自身の転換点を引き寄せることになった。

「おまえ、歌うまいな」

下呂市に生まれた小池さんは、クラスでも静かな子だったと言う。ところが高校時代に打ち込んだテニスをさらに続けたいと進学した大学で、すでに活躍していた部活の先輩から「おまえ、歌うまいな」と告げられる。これまでただ好きでやっていたことが誰かにとっては驚かれ、なおかつよろこばれもすることを知った。世界が広がっていくのを感じた。世間では男性グループのボーカルがテレビを賑わせていた。輝く彼らと自分とのあいだに、かすかな1本の線を発見した。予期せぬ偶然も重なり、進んでいた地元での就職も辞退。シンガーソングライターとしてプロを目指すことになる。

「親父の手のひらの上だったなって思いますよ」。そう笑っているのは二代目として経営手腕を振るう、つまり歌手にはならなかった小池さんだ。先代である職人気質な父から、進路について何か否定された記憶はまったくない。けれど、思い切り歌に打ち込んでノドを痛めてしまい帰ってきた実家で、気がつけば一番の下っ端として働き始めていた。当時、23歳。「父親からして見れば、歌手への道も後継への近道だったのかもね」と周りからも言われた。とはいえ今でもその歌は、会社の飲み会や自社SNSでの配信で周囲をよろばせるものにはなっている。歌にとっても、どこか近道だったという気さえしてくる。さて、にこやかに話す姿からは「宣言」がだいぶ前のことのように感じられるが、まだ10年も経っていない。

×の数を数えるよりも

第一子を授かった29歳、社長に就任した。休み明けに出勤すると社員からの「おめでとう」との声に呆気にとられた。「継承は早い方がいい」と、周囲からの勧めで事業継承を進めていたのは、即断即決を是とする先代の父だった。それが「宣言」につながってゆくのだから、ここにも近道が用意されたかのようにさえ見える。

入社当初は、「手に職がなければ設計もできない」との父の意向で、現場仕事からキャリアをスタート。慣れない建設業務に加え、「社長の息子」への風当たりは弱くはない。長年会社を支えてきた社員や父からの重圧は、これまで経験したことがないほどに感じられた。母が用意してくれる弁当も喉を通らず、「美味しかったよ」と、食べないで空にした弁当箱を渡す毎日が続いた。そんな小池さんにとって「人との交わりをよろべること」それが自分の強みだと気づくのには、まだ時間が必要だった。それまでは「関わる人間を選り好みしていた」と振り返る。

「他人の×(バツ)の数を数えて生きてきたんです。あの人とは一緒に働きたくないな、あの人は苦手だな…とか。それは今思えば、自分に非がないと思い込みたいからだし、別の言い方をすれば責任から逃れたいからだったんですよね。でもその×は、その人を構成する100のうちの1個なんですよ。社長になったとき、他の99個の◯こそを見るべきだ、と強く思いました」そこから、幼馴染への宣言はすぐだった。すべてを自責で引き受けようとする、「こいけ社長」の姿がすでにあった。

大きさより強さ

そこからの変わりぶりは、幼少期からの小池さんを知る社員も認めるところ。その変化──人との交わりをよろべる自分の発見は、下積み時代に蓄えた「上に立つ者に向けてきた視線」と交わり、現在の〈JYU-STYLE〉と代表としての小池さんを形づくる礎になっていく。「何をやっても、ある程度できてしまえた」元来の器量も、いつしかプライドをいたずらに高めるものではなくなっていた。

「会社は大きくなくても、強ければいい」。年間18棟という、ブレない指標を設ける背景を尋ねると、そのような答えが返ってきた。「クオリティコントロールのためでもありますが、商圏を広げることも社員数を増やすことも、長期的に見れば『強くする』という点では一般的に言われるほど良いことなのかは疑問なんです」。むしろ、停滞にさえ結びつくことだってありえるのでは?同じ体制での同じ業績を毎年重ねられることは停滞ではなく成長なのだ。

そうして目指される「強さ」は、どこに向かうのだろう。家づくりの「お悩み相談室」とさえ自称する、ヒアリングを重視する設計スタイルでは、施主と何度も膝を突き合わせる。その中で、住宅をつくる目的が本当に見えて来ないのならば自ら計画の取りやめを勧めることもあるのだとか。「建てないことも家づくりなんです」。そうした誠実な対応から生まれる信頼感は、口コミをメインに受注が積み重なる結果に現れている。

社員との信頼もそう。「お客さまファーストという言葉は好まない」と語る小池さんの、「社長の仕事」は「社員さんの働く環境をつくる」こと。「休みの日にも自然とお客さまのことを考えたくなるように」との願いから、飛騨圏域ではいち早くフレックスタイム制も導入した。業績が上がるようになったきっかけに至っても、「3名の女性スタッフを迎えたことが要因」と迷いがない。同質性の高まりがちな男性社会の職場に、客観的な視点が増えただけでなく、「決断を早く、経緯や結論をにごさず、はっきりと伝えることを心がけるようになりました。それに、周りへの自分の対応もやさしくなったと言われるんです」。もちろん、彼女ら含め社員らとぶつかることもあるが、それも双方の真剣さゆえ。けれど、普段から笑い声の絶えない職場だと、自信も隠さない。

地域をよくする

若手経営者コミュニティのなかでも、いち早く社長となった小池さんはもうすぐ40代となる。仕事の基礎を覚えて力を蓄えた20代。住宅会社としての職域を掘り下げ広げてきた30代。そして「地域をよくする」志を実践しようとする40代を目前に、飛騨という土地へ注がれるまなざしは気後れするほどにまっすぐだ。人口減少という社会の大きな前提を前に、自分の手の届く範囲でこの土地での暮らしの豊かさを提供していく。ママさんが気軽に行ける出先の選択肢を増やす。子どもが新しい価値観に触れられる講演会を企画する。下呂と高山に構えた両スタジオも、そうした社会情勢からの思いを踏まえて計画し、実現させてきた。

社会善と商業の原理をどのようにバランスさせるかは、さほど単純なことでもないだろう。「家にしろ、公共サービスにしろ、必要なものを必要なだけ欲しいという世相になりつつありますよね。だからこそ、いつの時代も売りたいものと、売れるものの着地点はやっぱり金額に表れます。なので、すこし尖った言い方にはなるけれど、ハイ・ブランドシリーズ〈暮らしと庭の設計室〉も買える方が買ってくれたらと思っています。それは〈JYU-STYLE〉が一貫して提案するものは、『自分たちが誇りを持てる、本当に売りたいもの』を前提にしているからです」。地域をよくしたいという言葉の中心には、こうした実際に目の前にいる社員やご近所さんとの間に育まれた実感が介在しているように見えた。

引き渡し後に作成する、お客さま一軒一軒をまとめた冊子。

「庭は、家と融合されているべき」。

大工として駆け出しの頃の小池さん。

(my turning point)

EPILOGUE

お話を聞いて…

判断するより、前のところで。

各々の大切にしているものがぶつかりあうところで、判断を下していかなければならない。そうした社長業にあって、小池さんのまっすぐさには驚かされた。それは判断を下す、ということに対するオブセッションを揺らがせるようなものでもあった。つまり、誰かがすでに下した判断を「それいいかも」と、◯の数を数えていく。そうしたあり方からくるものだ。それは時に、「判断を留保する」という真逆の態度にさえ映りもする。大小の理念、商業の論理、社員や家族の思い、そうしたものごとの結びつきや矛盾がリーダーを悩ませる時、判断するより前のところで朗らかに歌う小池さんの姿を思い出したい。

思う人の目線に立てば、ふとした幸せに大袈裟な仕掛けはいらない。

JYU-STYLE建築設計

下呂STUDIO

岐阜県下呂市萩原町上呂1465-1 (Google map)

高山STUDIO

岐阜県高山市下岡本町1575-1 (Google map)

営業時間

9:00~18:00

電話

080-0777-0123

メールアドレス

koike@jyu-style.com

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