両面宿儺をモデルにした漫画が世界的な人気を得た。作中での宿儺はやたらと暴れまわる。(たとえば東京渋谷の半径140mを更地にした)。そんな鬼神もところ変われば、お寺の開祖で祈りの対象。そんなお寺を尋ね山道を登れば、木彫の穏やかなお顔の英雄像が迎えてくれる。両面宿儺の存在自体もまた「両面」がある存在だったのだ。海外からの熱心なファンはこのギャップに驚き、円空に出会い、手を合わせ満足気に帰っていく。
「ご縁はいつもどこからやってくるか分からないですね」と、真海さん。臨床心理士や教員免許を持つ住職もまた多彩な顔を持つ方だ。ともかく7年に1度の御開帳も、これまでご縁がなかった人とのご縁をよろこぶ機会として開かれており、また7年目がやってきた。
普段は秘蔵されているご本尊「千手観音」をはじめとした、秘仏やお堂が特別に公開される。どんな願いや悩みにも救いの手を差し伸べるべく千の手を持つ千手観音は、住職曰く「総合病院みたいな」お方。日頃のあれこれを携え、静かにお参りしたくなる。
令和元年以来の御開帳となると、改元も意外と前のことのように思うけれど、千光寺開山1600年と比べれば、ほんのわずかな時間にも思えてくる。この長い時間軸では、御仏の力を常に広げておくのではなく、蓄えてまとまった力として発揮するために御開帳はあるという。
3日間の中日には〈けさやま梵マルシェ〉も開催される。お寺は信仰の場であると同時に、市が立つ場や文化財保護の役割も担ってきた。飛騨の歴史を包括的に物語る場であり続けるのは当然、易しくはない。
今回お披露目される三熊思孝による「桜の襖絵」はそうした意味でも見逃せない。三熊は単に「京で活躍したすごい画家」というだけでもない。江戸時代に出版された歴史の傑物たちを紹介するメディアで、他でもない円空を取り上げ再評価の機運を作り出した張本人でもあり、現在放送中の大河ドラマに登場する彼らと同じ18世紀半ばを生きた同時代人でもあるのだ。
当時の飛騨は、農民一揆が起こり争乱の時代を迎えていた。その傍らにも、後年のメディア産業や(ポップ)カルチャーへとつながる営みの息吹がたしかにあった。争いで荒む時代のもう反面にも、たしかに喜びがあった事実は救いそのものに思える。
現代に至りこの襖絵を復元すべく多くの支援が集まったのも、やはりいつの世にも「両面」が求められるからだろうか。長期にわたったその過程では、100年前にも同様に修復された痕も見つかったという。
学芸員資格も持つ真海さんは「同じ志を持つ人が過去にもいたということは、そのまま100年後への希望にもつながる」と語る。
父による〈極楽門〉や〈国際平和瞑想センター〉を前に、自身の代で何ができるかと惑いそうになるのもまた事実。一時は重圧にも感じていた。けれど今はやれることをただやりきり、その中で出てくるものもあるだろう、とその呼吸は静かに深い。
「自分がすべきは次につなげていくこと」。大いなるものの一部である実感は、こうした言葉をまっすぐこちらに響かせてきた。

















