この秋冬にかけて、いつも以上に目撃や被害のニュースが聞こえてきたクマ。隣にいるわけではないけれど、「いつ出会うかもしれない」そんな地域に暮らすわたしたち。飛騨に暮らすからには関心を持たずにはいられない。そんなクマについて解像度上げて、考えてみたい。
クマのきほん
飛騨のツキノワグマ
世界に生息するクマの種類は意外に少なく8種類で、その中で日本に生息するのはツキノワグマとヒグマの2種。飛騨の森に棲むのはツキノワグマであるため、ここでは主にツキノワグマを取り上げることにする。
ツキノワグマは、アジアクロクマという東アジアに広く分布する種の仲間。胸の白いV字模様が特徴であるため、英語では“Moon bear”と表現される。国際的には絶滅が心配されている種なのだが、日本では例外的に個体数が増加。現在ではヒトとの軋轢が大きな問題になっている。
肉食→雑食で生き延びる
生物学的にはイヌやネコとおなじく“食肉目”に分類されるクマ。爪や犬歯があるなど肉食獣のような体のつくりをしているが、彼らが食べるものの9割は植物。クマの仲間の多くは雑食性になることで絶滅を免れ、進化してきたと考えられている。
クマが食べるもの
食べるものの中でもブナ科の“堅果”、つまりドングリがとても重要。最近の研究では、冬眠前の秋に1年で摂取するカロリーの8割を“食いだめ”することが分かってきているそう。秋以外の季節は、木の新芽や柔らかい草本、キイチゴやサクラ、アリやハチなどさまざまなものを食べて命をつないでいる。動物を襲って食べることは基本的にはないと言われているが肉は大好きで、シカやカモシカの死骸をみつけるとよろんで食べる個体もいる。
食べ物を求めて
群れを作らず縄張り持たないクマだが、環境に適応する能力が高いため、食べ物を得るためなら行動範囲も活動時間も柔軟に変えることが知られている。明瞭な四季のある日本では食べ物のある場所がめまぐるしく変わるため、季節やその年の山の実りに併せて生活していると考えられている。
謎多きクマの冬眠
半年は眠るクマ
国内のツキノワグマは基本的に冬眠をする。冬眠期間は雪国では11月下旬から5月上旬と言われ、1年の半分近くを冬眠して過ごしていることになる。冬眠中は食事も排泄も行わず、睡眠と覚醒を繰り返しながらひたすらじっとしている。また秋に脂肪分を蓄えることができた雌グマはこの冬眠期間中に出産し、だいたい2頭の子グマを産み育てる。冬眠の生理的なメカニズムは不明な点も多いが、呼吸や心拍などの基礎代謝を落とすだけでなく、尿からアンモニアを取り出し、それを再利用してアミノ酸を合成して筋肉を作るなど、他の動物にはない驚きの特性を持っており、そのため医療分野への応用を目指した研究も行われている。
出没増加の現状とその背景は?
ヒトの生活圏へのクマの出没や人身被害、死亡事故の件数は年々増えており、いずれも過去最多となりそう。国内で駆除・捕殺されたクマの数も、史上初めて10,000頭/年を超えるペースで推移している。この背景に何があるのか? 端的な1つの解を求めるのは難しいが、専門家の話によれば大きく3つの要因が複合的に絡んで起きているとされている。
1.ドングリの不作
ブナをはじめとする堅果の結実量には年変動があり、実りの少ない年は食べ物を求めたクマが行動圏を拡げ、人の生活圏に出没する個体が増えることが分かっているそう。今年、岐阜県を含む東日本の多くの地域では、ブナ・ミズナラ・コナラなど、クマにとって秋の“主食”となる堅果類がいずれも凶作。堅果の豊凶は広い範囲で同調するため、地域一体にクマの出没が増える一要因と言われている。
2. 中山間地域の衰退
ブナ科堅果の豊凶は、動物と植物が子孫を残すために競争し、進化の中で獲得した特性だ(不作の年に森の動物の数を減らし、豊作の年にその森の動物が食べきれない量の実をつけることで子孫を残す)。つまり非常に長い時間スケールの中で続いている自然界の事象の1つであり、それだけでは近年の大量出没の要因は説明出来ない。
そこに加わったのが、人口減少や高齢化に伴う中山間地域の衰退で、代表的なものの1つが耕作放棄地の増加と言われている。放棄された耕作地は薮に覆われ、低木やツル植物が繁茂、そこにはキイチゴやクワ、アケビやサルナシ、もがれなくなったカキやクリなどが大量にあるため、クマにとっては魅力的な環境になっている。
もう1つ挙げられるのが薪炭林の放棄だ。昔は煮炊きをするために、裏山の雑木林を10~20年の短いサイクルで伐採し、薪や炭を作って生活に利用していた。ところが燃料革命で生活様式が一変し、伐採されなくなった裏山の雑木林はいまや樹齢50~60年以上の木へと成長し、たくさんのドングリを実らせている。かつて民家のすぐ裏にあった薪炭林は、いまやクマに取ってドングリの供給源となっており、このことは標高の低い場所や人の生活圏のすぐ近くまでクマの分布域や行動圏が拡大した主な要因と言われている。
3. 天敵の減少
大型の肉食獣のいない日本でクマの天敵といえばヒト、つまり狩猟者。狩猟による圧力が個体数の増加を抑制するだけでなく、クマは永い間、“ヒトは脅威だ”という認識を持っていたはず。ところが過去数十年で狩猟者の数は半減し、ハンターの年齢層も著しく高齢化している。また昔の農村には常に住人の姿があり、野生動物にとってとても魅力的な食べ物である農地の作物のそばには、クマにとって脅威のヒトがいた。つまり「農地にヒトがいること」は野生動物がわたしたちの生活圏へ侵入するのを防ぐ“防衛線”となっていたはずだが、現在では農村から住人の姿が減ったため、侵入するのが容易になったと考えられる。
クマとヒトの人類学。
解像度を上げて考えてみる!
地域内にクマの暮らす森があり、すぐそばにクマを感じる飛騨。どのような関わり方がありうるのかを模索するべく出演いただくのは、文化人類学を専門する大学研究員の北川真紀さん。かつて大学でクマを研究し、現在は飛騨の森でフィールドワークを行うノラクマが質問者となり、それぞれの知識をクロスオーバーさせながら、「いま」のクマ問題を考える。
北川真紀
滋賀県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科 超域文化科学専攻 特任研究員。現代日本のエネルギー問題、森林生態系の変化に起因するローカルな危機への対応(生活や実践の再編)を対象として人類学的研究に勤しむ。福井県猟友会大野支部所属。
ノラクマ
大学にてクマ研究に勤しみ、現在は飛騨の森でフィールドワークをしている在野の研究者ノラクマ。クマに関する探究を深めながら、さまざまなクマ問題について考えている。
ノラクマ
今回ははるばる東京からお越しいただき、ありがとうございます。
北川
高山は家族旅行で一度訪れたことがあり、実は十数年ぶり。やはり雪がありますね。
ノラクマ
お会いするのを楽しみにしていました! 寄稿されていた論文論文主な論文に「猟師の眼で見る 「熊問題」の人類学 」(『世界』2025年7月号・岩波書店)、「複数種と「奥山」をめぐる思考ーー猟師・イノシシ・ウイルス、その目線の先へ 」(『思想』2022年10月号・岩波書店)などがある。を読んで直接お話を伺ってみたいと思っていたんです。
北川
うれしいですね。
ノラクマ
ところで北川さんはどのような経緯でクマの研究に辿り着いたのですか?
北川
不思議に思われますよね、笑。実は大学卒業後はテレビ局へ入社して六本木で働いていたんです。当時は地下鉄で通勤し、一日中ビルの中で過ごす日々。季節の変化や自然をまったく感じない場所で自分の知覚が狭まっていく感覚があって、それで身体感覚と環境の問題に関心をもちました。会社を辞めて大学院に入ってからは、感覚を「外」に開く生活実践としてオフグリッドオフグリッド(off-grid)電力会社からの送電網(grid)に接続せず(off)、太陽光や風力などの自然エネルギーや蓄電池を使って、電気やガス、水道などのライフラインを自給自足する状態や生活様式のこと。をテーマに研究を始め、その延長で住民の7割ほどが井戸水、つまり水のオフグリッドで生活している福井県大野市福井県大野市福井県東部に位置する豪雪地帯。昭和以前の時代から伝統的な春熊猟が行われている。で調査を始めました。人類学は、仮説検証型ではなく問題発見型の手法を重視するのですが、そこで新たに発見したのが、野生動物と人の関係性です。わたしが住んでいる家にクマがやってきたり、用水路で死んでいる野生イノシシを見つけるようになったりして接点が増えていったんです。住民さんたちも野生動物を話題にすることが増えていき、そうしているうちに豚熱感染野生イノシシの豚熱感染
豚熱(CSF、旧称豚コレラ)ウイルスにより起こる豚やイノシシの熱性伝染病。感染豚や体液、排泄物等との接触により感染する。強い伝染力と高い致死量が特徴。人に感染することはないと言われている。やクマ出没へも調査が及んで、野生動物を追う猟師さんと関わる機会が増えていきました。ちょうど「アーバン・ベア」「アーバン・ベア」市街地周辺の山林で暮らし、街中に出没するクマのこと。佐藤喜和著『アーバン・ベア : となりのヒグマと向き合う』(2021年・東京大学出版会)に詳しい。の問題が取り沙汰され始めた時期とも重なって、わたしたちとクマがどのような形で関わりうるのか猟師の身体に沿って考えてみようと研究を始めました。
ノラクマ
そうだったんですね。ところで専攻されている文化人類学とはどんな学問ですか?
北川
大航海時代に起源があるとも言われていて、「他者」と出会うことからスタートする学問です。当初は西洋中心主義的なところもあり、少数民族が住む地域など「外」へ出かけて、自文化と比較研究するやり方がスタンダードでした。グローバル化した現代でも、「人間とはなんだろう?」と自分の当たり前を疑い問うことが研究の原点ですね。今でも日本では海外での調査が主流ですが、わたしの調査対象は福井県大野市の猟師たちです。
ノラクマ
なるほど。こうした研究はどう社会に活かされるんでしょう?文化人類学に何か期待されているとしたらそれはどういう部分ですかね?
北川
そうですね、科学がすべてを解決してくれるという希望を抱けた時代とは違い、いまは正解というものがなくなってしまった時代。そこで世界が複雑に絡みあい不確実性が増しています。そんな世界をどのように生き抜いていくのか、ということに関して、あらゆる生活様式や宗教、生き方、時間感覚などを研究してきた文化人類学の知見が役に立つのではないかと思っています。
クマと近接した暮らしの中で。
ノラクマ
月刊誌〈世界〉に寄稿された論文の中で触れていらっしゃった、森の中で最初は見つけられなかったクマが見えるようになった、という体験が印象的でした。
北川
そうなんです、猟師さんと同行して指を差されても、初めはまったくクマを見つけられなかったんですよ。どれだけ細かく周囲の環境を説明されても、不思議なことに認知できない。それが天候や光の具合、山の植生や距離感など、だんだんとチューニングが合ってきた時にすごく見えるようになって、ついには「クマ姉ちゃん」と呼ばれるまでになりました、笑。
ノラクマ
分かるな~、友人たちにひたすら杉の新芽を採るお手伝いをしてもらうと、終わる頃には杉の新芽だけがパッと目に入ってくるようになるんです。自然に対して「感覚が開いた」と感じる瞬間ってありますよね。ちなみにその体験があった後、都市部に戻って何か変化はありましたか?
北川
1年後に大野でまた狩猟についていった時には「遅い」って言われてしまいましたね。感覚が鈍くなってしまった。
ノラクマ
知り合いの猟師さんも、シーズン前には感覚を取り戻すために、体を軽く〝ならして〟から本格的に山に入るとか。ボクも山に入るシーズンになると、最初は冬の間に眠ってしまった勘を取り戻すようなことを意識します。
北川
民俗学者の田口洋美さんによるマタギに関する著作の中にも「今日は狩りの身体ではないから山に入るのをやめた」という内容のものがあるんですけど、こうした感覚はけっこう重要なことだなと思っています。
ノラクマ
今のクマ問題の解決策を考えるのに、猟師がどうやって自然を見ているのかということが一役買うんじゃないかと思うのですが、文化人類学的アプローチで何か言えることってありますか?
北川
う~ん、クマの問題は本当に地域差や個体差があって明確な答えは非常に出しづらいです。そもそも解決ってどういう状態か?というところから始めないといけない。恐怖心を煽る報道もある中で、駆除か保護かという議論を目にすることもありますが、恐怖とか不安の対象であるものとどうしたら違う関係を結び直せるだろうか?ということは考えていました。個人としてできることは、やはり徐々に「知っていくこと」しかないのではないでしょうか?
ノラクマ
「死」と隣り合わせになりかねない対象とどう向き合うか、まさにこの特集の出発点です。
北川
私もクマを怖いとは感じていますが、単純に怖いわけではないというか。科学的にもまだ解明されていないことの多い生き物ですが、分からないなりに猟師的感覚でいると少しずつ見えてくることがあります。猟に出て観察したり人に聞いたり、地形や個々のクマの感覚を読もうとすることで、ルートとか行動がなんとなく分かってくる。クマと向き合う現場にいると、自分の身体感覚を開いていくことにもつながってくると思います。
ノラクマ
クマは9割の食事が植物なので、身近なエリアの植生を知るとクマの行動を推測しやすいかもですね。「この季節はこの辺にいる」という痕跡が掴めるようになると、クマが見えていなくても気配を感じる時があって、「こっちはダメだ」と進路を変更したりとか。ふだん森へ入らない一般の人がその感覚に近づくための切り口って、何が考えられるでしょうか?
北川
例えばドングリ拾いでもいいのですが、規格化されていないものに触れて場所や季節の変動を感じるのは有効かもですね。そうすることでこの辺には多いとか少ないとか、今年は不作だなとか、見えてくるものがあると思うんです。あといま、猟師の言葉や描写を読むことで、追体験できるようなモノグラフを書くことに取り組んでいます。それを読むことで身体感覚が開かれるような記述を目指しています。
共存とは違う関わりしろ。
ノラクマ
そういえば〈世界〉に寄稿されたテキストには、柿の木を刈り倒してしまうとクマの出没が推測しにくくなる、ということも書かれていましたね。
北川
もちろん一概に否定はできないし、クマが出没しなくなる効果もあると思います。ただ地域独自の対策をしていく時には、極端になにかがなくなればよいという発想ではなく、地域の猟師たちとの関係の中で、なにが有効なのかを考えることは重要ではないでしょうか。例えば大野だとある河川の外側にある柿の木を常にチェック柿の問題
空き家の増加等により柿が収穫されないまま放置されている状況が、クマを誘引する原因として近年、問題視されている。伐採費用の補助といった制度が作られたが、所有者が遠方にいたり放棄されたりすることも多く利用率が上がらないことが課題。伐採することで一定の効果は得られるが、次の行動として漬物樽やコンポストなどに手をつける可能性が懸念される。別の視点では猟師がクマを撃つための目印として活用されていることもあり、伐採により新たな問題が生まれる可能性も。すべての因を柿とするのではなく、その前後をふくあめた対応が求められている。していて、ここまで来たら危ないと判断して檻を設置する目印にしているんです。
ノラクマ
目印に期待を寄せすぎるとまた危険ではありますが、そういうベンチマーク的なものがすべてなくなるとどこに出没するか読めなくなってしまう危うさは感じますね。
北川
人間の住まい方とか里山の変化がいまの状況を生んでいて、簡単に棲み分けできないということが分かり始めています。いろいろなことが複雑に絡み合ってクマが街へ降りてきている。「人間」の営みを追っているだけでは語れない局面に来ていると思います。
ノラクマ
自然の中で起きていることって、端的に分解して言語化するということとそもそも相性が悪い気がします。そういう前提に立つと、テレビのクマ関連ニュースの編集には少しモヤっとしますね。地域ごとに状況が違うし、クマと人間だけをみればいいわけでもない。複雑なものを複雑なまま捉えないといけないはず、とも思えます。
北川
ほんとにそうですね。
ノラクマ
現代の人間は自然との距離が離れてしまって、そういう複雑なものを受け止めることが苦手になってしまっているのかもしれませんね。日々変わるものだから、完璧にはコントロールできないものだということを前提にしないと。ここ最近のクマの習性の変化の1つとして、肉食化クマの肉食化ツキノワグマがワナにかかった生きたシカを捕食したり、人を襲ったクマの動きが捕食を目的とした行動であったりと、近年ではこれまでとは質の異なるクマの報道が増えている。も危惧されていますね。
北川
数年前から大野の猟師たちの間でも肉食化する個体がいずれ出てくるのではないかという話は出ていました。
ノラクマ
現代人を襲っている個体は、外れ値と言われてはいますが、それを常態化させないために、人間を捕食対象だと思っているクマを間引いて均衡関係を保つことも必要なのかもしれませんね。
クマを狩るということ。
ノラクマ
ところで以前、アイヌの熊送りの儀式であるイヨマンテの映像を観た時に、それがクマを狩る人たちのメンタルケアのように感じられたことがあったんです。もちろん宗教的意味合いもあるとは思いますが、種的にもサイズ的にも人間に近い生き物を狩る時に受ける心のダメージって大きいのではないでしょうか?
北川
大野では猟友会として年に一度動物供養はしていますね。それは鳥獣害対策鳥獣害対策農林業被害や人身被害の増加などにより、集中的かつ広域的な管理が必要と環境大臣が指定した鳥獣(指定管理鳥獣)について、都道府県や国がその個体数調整や被害対策を行うことができる。ニホンジカやイノシシに加えて、2024年4月に四国の個体群を除くクマ類(ヒグマ・ツキノワグマ)が新たに指定された。で獲ったものの供養ってことではあるのですが、それとは別に、クマを捕獲した際にはその場所で内臓を取り出し、脾臓を近くの木にぶら下げて山の神に捧げるということをします。さらに自分の中から出てくる倫理観みたいなものは猟師さんそれぞれが違う形で持っていると思います。お地蔵さんにお参りする方もいれば、クマは撃つけどサルはやらないという方もいる。やり方は本当に人それぞれです。
ノラクマ
それぞれの向き合い方の中でバランスを取っているんですかね。鳥獣害対策と、命を丸ごといただくことを前提とした狩猟文化とでは、狩ることの意味合いがまた違ってくる気がしますね。
北川
実は大野では害獣駆除として捕ったクマを、食べたり誰かの所有物にしたりすることが出来ず、「命をいただく」ことは出来ないんです。自治体によって違っていて、例えば新潟県の十日町では害獣駆除した肉をジビエとして販売できるそうなんです。
ノラクマ
鮮度の問題などでしょうか。これも自然を相手にしていく難しさの1つですね。
北川
今まで山の神として畏怖の念を抱いていた生き物を撃つのは進んでやりたいことではないとは思います。でもやっぱり人間を守るということも大事なんです。そのラインを越えたら躊躇なく駆除して人為的に境界を引くということは、割と昔からやっていることだと思いますね。
ノラクマ
先ほど言っていた川で線引きするのは共通認識を持ちやすいからですか?
北川
あれは猟師が個人的に引いた境界なんですよ。行政が設定するゾーニングはメッシュで区切ったものですが、現場では独自にそれを翻訳して落とし込むということをしています。
ノラクマ
そういえば鳥獣害対策を考える時に、猟師や研究者、自治体間でコミュニケーションはあるのでしょうか?
北川
福井県でも有識者会議的なものがあるのですが、研究者はいても猟師は呼ばれていないようです。
ノラクマ
う~む。
北川
そこで決まったルールをどう落とし込むか?ということに関しては、大野の猟友会はよくコミュニケーションを取っていると思います。ただ行政のことも分かり、クマのことも分かっている上で、猟友会としても動けるという方がいないと本当は難しい。
ノラクマ
全国的にも、ハンターでもあり、保護管理の計画を立てたり被害対策や普及啓発などに携わる方が各自治体に数人いないと、クマ対策は進まないのではないか?ということが言われ始めていますね。
北川
いまいる猟師たちと対話が出来ているか?ということも念頭におく必要はあると思います。加えて若い猟師がガバメントハンターとして公務員職を得て、「ワイルドライフマネジメント」「ワイルドライフマネジメント」
野生動物と人間の軋轢を解消し、共存を実現するための試みのこと。科学的な調査・研究に基づく「生息地管理」、「個体数管理」、「被害管理」の3つの柱から成る。野生動物管理学。を学び、両方の視点で組めるといいのかもしれませんね。あるいはもともと生態学を学んできた方が狩猟免許を取るとか。
ノラクマ
両方を行き来して調整出来るようになるといいですね。
北川
でもクマを撃つってそんなに簡単なことではないですね。例えば自衛隊で銃の訓練を受けてきた方であっても、すぐに森でクマを追えるかとなると実際には難しい。やはり時間がかかると思います。クマを撃つスキルを受け継いでいくためにも、やはり猟師との対話が必要なんじゃないでしょうか。
ノラクマ
クマの住む森近くの地域に暮らすわたしたちにとっては、好むと好まざると関わらざるを得ないクマの問題。こうして生態や実態を知り、最新の情報に触れながら、今後もクマとの関わり方を模索し続けることが必要ですね。
北川
そう思います。それにしても…、今回滞在は短かったのですが、飛騨は森とも近く、ここに暮らす人も町もすごく魅力的。ぜひまた訪れたくなってしまいました。
ノラクマ
ぜひぜひ!いま取り掛かられている博士論文を書き上げられたら、いつかこの町でトークイベントなんてどうですか?
北川
うれしいですね。頑張って書き上げます!
いつ出会うかもしれない、そんなクマについてもう一歩深堀りしたくなったら。そんな時に触れたい映像や書籍を紹介します。
NHKスペシャル「独自調査 “クマ異常事態”の真相」
NHK / NHKオンデマンド
秋田県鹿角市の人里近くに現れた4頭のクマに装着したGPSやカメラ。その行動を追っていくと見えてきたのは、研究者も驚くクマの行動だったー。さらに、番組では81歳の女性がクマに襲われて死亡した秋田県の現地を取材。さまざまな思いを抱えた猟師の弟が、その捕獲に乗り出す。出会えば死に関わることもあるわれわれヒトは、どう向き合うべきか?その道筋を考えるドキュメンタリー。
ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら
ツキノワグマ研究者のウンコ採集フン闘記
辰巳出版 / 小池伸介
四半世紀に渡り森でツキノワグマのウンコを拾い続け、その謎に包まれた生態を明らかにしてきたツキノワグマ研究家・小池伸介氏の自然科学エッセイ。ウンコからその生態に迫りながら、クマ研究の最前線を分かりやすく知ることができる。
クマ問題を考える野生動物生息域拡大期のリテラシー
ヤマケイ新書 / 田口洋美
野生動物と人間の遭遇、その解決は保護か? 捕獲か? 駆除か? 顕著化するこの課題に注視してきた研究者による一考察。被害の構造、森の消長と野生動物の関係性、狩猟の公益性を紐解き、クマとの向き合い方を考える。
となりのツキノワグマ
Deep nature photo book
新潮社 / 宮崎 学
切り株や樹洞に近づく動物たちを24時間ライブカメラで中継するユニークな試みを展開するなど、「自然と人間」をテーマに活動するフォトグラファーによるツキノワグマの驚くべき生態に迫った1冊。
ぼくは猟師になった
新潮文庫 / 千松信也
手製のワナを作り、獲物にとどめを刺し、さばいて余すところなくいただく。33歳のワナ猟師が、京都の山に中で野生動物と自然に向きあった等身大の記録。狩る人の目線から見つめる、ヒトと野生動物の関係性とは?
column
となりのツキノワグマ。
クマが人里で目撃された時に、人は「クマが出た」と言う。この「出た」と言う言葉のチョイスは、普段は当たり前に「いる」存在と認識していないものが突如として現れた驚きの表出とも言える。そうして普段は「いない」と思い込んでいるクマだが、彼らが住む森とわたしたちの暮らしのエリアは紛れもなく「接して」おり、いまも昔もわたしたちの間に横たわるのは、対面すればいつも「命懸け」になるという現実だ。ある時は畏怖を捧げる「山の神」として、ある時は狩猟の対象の獲物として、アンビバレントなメタファーを纏うクマとわたしたちヒトは、これまでも互いに生存可能な距離をとってきた。だが近年、人が暮らすエリアにクマが「出る」頻度がかつてないほど高まっている、と言われている。今年の秋、ブレスのすぐ近くでクマが目撃された。暗くなった帰宅時に、車に乗り込む前にあたりを見回すようになった時、自分が飛騨でクマと共存していることをかつてないほどリアルに感じた。それからこの隣人についてさらによく知らねばならないと思った。いまの現状がある背景には、必ず理由がある。ヒトは知り、ヒトは考える。変化の兆しが見えるクマとの関わりを探る時に、それは必ず助けになるに違いないのだ。(Y)

















